二日坊主娘

映画や本、音楽や人物などについて書くと思います。たぶん…。

時間堂WS(わたし的に)三日目と、初めてのヤリナゲ

 

おはようございます

十色庵(時間堂のホーム)に はいったら

「あかぬけた?」といわれた
春野早苗です

東京の空気ってすごい。

ほんの一週間たらずで

人をあかぬけさせる疑惑ありです。

さて、今日は

ヤリナゲ、という劇団
 http://yarinage.wix.com/home
の 206 という
お芝居を観に行きました

心から、心の底から、面白かった。

知り合いなど一人も出ていない作品で

純度100パーセントに「演劇を観に」行きました。

出演者とかじゃなくて、ただただ、演劇を観に。

それで、こんなに満足した。

知り合い出てるから、ってことで

お付き合いの一環で観に行く演劇ではなかったから

生粋の、ただのお客だったわけです。

それで、すっかりファンになってしまった。

また観に来たい。

お世辞、建前、社交辞令ゼロで、また観に来たい。

からの、今夏最後の
時間堂ワークショップ

わかったこと
・胸、肩、のどあたりが基本的にかたまっちゃってる
→余計な力は抜く

・体が固まると(体に余計な力が入っていると)
でる声も出ない

・体の緊張は、
適切な声を出すことで解消することが出来る

・体の余計な力が抜けた瞬間を感じられた!
これは大きな進歩。
そのときのやり取りは、気持ちよさの絶頂だった。

・稽古中、愛想笑いをしないぞ、とカタく決意して
稽古場に足を踏み入れた。

いつもよりは、ずっと、感情に正直な体でいたけど

(楽しくないのに笑うなど、余計なことをしなかった)

けど、けど

まだまだ我慢してる。

なぜわかるかというと、体に余計な力が
はいっている瞬間がわかったから。

そういうときは、何かの感情を発散できずに
いるとき。

重なり合ってる部分はあるけど、以上が
今日わかったことや、今後気をつけたいこと。

以下は、感想

「さみしい」→「近くに来てほしい」→接近される→びっくりする→逃げる→さみしい

っていうの、二回目のワークであったんだけど

それ、後から思い出して
ばかだなあ~、って、面白かった。

そして今日は、
男の人に対して、ずっと、恥ずかしくて
表現できなかったことを

適切な分だけ表現できた記念すべき日。

適切な分だけ表現できた、と言っても
終始そうだったわけではなくて、瞬間的では
あるんだけど。

でも、瞬間的であろうと
前に進めたわたし、やったね、!

あ、そもそも
どんなことをしたか、っていうのを

ブログでは書いていなかったので

最終日にして、、、ではありますが

書きます。

dialogというものです。

dialogとは何かと言うと

というか、dialogをわたしがどう理解しているかと言うと

二人組になり

自分の感情を

主に、声と体を用いて

適切に相手に伝え切る

というものだと解しています。

違うかもしれないから
へえ、春野早苗はそう理解してるんだ、て程度に
きいてください。

以上、dialogの説明でした。

あと、やっと言語化できた、わたしの
思いついたこと。

それは

俳優が我が儘であるべきだ、というのは

けっして
ズルして楽をすべきだ、ということを
指してるんじゃない。

我(自分)が(の)儘(そうであるまま)

そのまま、で居るべきだ、ということ。

喜び、怒り、哀しみ、楽しさ、興奮、殺意、恥ずかしさ、

自分に生じた、それら全てを

感じ、適切に表現できる、ということは

良い俳優として必要な要素。

その要素を持つためには

そのままの自分(我が儘)で居る必要性が

大いにある。

たとえば、わたしの例でいうと

遠慮したり気を使ったりすることで

さみしい、こわい、などを

なかったことにして

「わたしは嬉しいのよ、楽しいのよ」
と、自分をだます傾向がある。

だまされた結果どうなるかというと

あさ~くて、安っぽい演技しか
できなくなっちゃう

表層的な演技。

じゃあ、どうやって演技の質を高めるか、
どうやって深みを出すか
どうやって深層的な演技を目指すか、というと

騙して生まれた感情ではなくて

ただそこにある感情を使う。

とはいうものの、
この場面ではこの感情がほしい、というのも
あるので

その、欲しい感情が生まれるよう、
あらかじめ用意できることをしておく。

そういうことを思いつきました。

以上をふまえて、福岡に帰ってやることは

・体が今どんな状態なのか観察する時間を増やす

・どんな感情をもっているのか観察する時間を増やす

・愛想笑いをしない環境で、笑顔仮面を脱ぐ時間を増やす

です。

東京も、東京のみなさんも、本当にありがとう。

春野早苗