二日坊主娘

映画や本、音楽や人物などについて書くと思います。たぶん…。

「きみに読む物語」

 

きみに読む物語 スペシャル・プライス [DVD]

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きみに読む物語

監督:ニック・カサヴェテス

脚本: ジャン・サルディ、ジェレミー・レヴェン

原作:ニコラス・スパークス

 

キャスト

ノア・カルフーン:ライアン・ゴズリングジェームズ・ガーナー

アリー・ハミルトン:レイチェル・マクアダムスジーナ・ローランズ

 

あらすじ

  ノアは、認知症の妻アリーの傍にいるため、アリーと同じ施設で暮らしている。ノアは毎日、若き日の二人について綴った本をアリーに読み聞かせている。調子 の良い日には、アリーは、「この物語は私たちのことだわ、ノア…。」と、記憶を取り戻す。しかしその状態は5分と続かず、すぐに全てを忘れてしまう。この 映画は、ノアがアリーに本を読み聞かせる現在と、その本の内容である二人の過去とが織り交ぜられている。

 ノアがアリーに読み聞かせる内 容、つまり、若き日のノアとアリーの物語は以下のようなものである。良家の娘であるアリーは、毎年夏になると家族と共に別荘へやって来る。そんなアリー に、地元で材木運びをしているノアが一目ぼれ。ノアの強引なアプローチによって二人はデートするようになる。初めこそノアを疎ましく思っていたアリーも、 気づけばノアに強く惹かれていた。喧嘩の絶えないカップルだったが、それでも離れることができない不思議で強烈な縁で繋がっていた。

 しか し、前途洋洋なアリーに対し、ノアの未来は希望があるとは言い難かった。アリーの両親は、二人の交際に激しく反対した。仲違いしたまま夏は終わり、二人は 地理的に離れ離れになった。アリーが別荘を発ってから、ノアは毎日アリーへ手紙を書いた。しかしその手紙は一通としてアリーには届かなかった。アリーの母 親が、娘のためにと思い隠し続けたからである。365通目の手紙を最後に、ノアは手紙を出すのをやめた。

 それから時が過ぎ、アリーはある 富豪の男と結婚することになった。幸か不幸か、ノアはそのことを偶然知ってまう。さらにアリーも、ノアの居場所を偶然知ってしまい、思わずノアの元を訪れ る。アリーはこの時、ノアが毎日手紙を書いて送っていたことを知る。当時と変わらず強く求め合った二人は、今も互いに惹かれ合っていると感じる。

 アリーの母親は、アリーにノアからの手紙を全て渡して、「正しい選択を」と言い残し去っていった。最後にアリーは、ノアを選んだ。

  ここまで、ノアが読み聞かせると、アリーは「これは私たちの物語だ…」と思い出した。しかしそれもつかの間で、「あなたは誰!誰か助けて!」と、ノアに怯 える。そんなアリーの姿に胸を痛めるノアだが、ある晩アリーの元を突然訪れたノアをアリーは認知する。そして、穏やかで優しい時間の中、二人は同時に息を 引き取った。

 

 

感想

 まさに映画のような話だと思った。昔の恋は昔の恋であっ て、終わってしまったらもう元には戻れない(これは持論だから、どれくらいの人が共感してくれるかわからないけれど)。かつてどんなに好きだった人でも、 当時はどんなに本気で愛していると思っていた人でも、時が経てばただの昔の人になってしまうものだと思う。それは、時が経ったせいだと言うよりも、時が 経ったと共に自分自身が変わってしまったからだろう。当時の自分にとっては王子様だった人も、今の自分には必要ない人(これは逆もまた然りなのだと思う。 つまり相手にとっても、今の私は今のその人に必要ない。)であって、当時の自分にとっては本物だった愛も、今振り返るとなんだかよくわからない…ただの勘 違いだったかも…そう感じるようなものだと思う。(私が冷酷なだけ…?)

 過ぎ去った恋愛は美化される傾向があるらしく(私の場合は逆だけ ど)、今の恋人より昔の恋人を良く思ったり、今の恋愛より昔の恋愛が美しく思えたりすることがあるらしい。私も、昔の思い出を美化することこそ無いにして も、「あのときのあの人は今どうしているかなあ」と思うことはある。だから、ノアが数年ぶりに偶然街中でアリーを見つけて、気持ちが高まっちゃって必死で アリーを追いかけたシーンや、アリーが、ノアに会いたい、会いに行こう!会いに来ちゃった!ってシーンは、「あるよね~」と思いながら見た。ここまでは、 シチュエーションこそ映画的だけど、心情的には現実的だと思う。

 ただ、私が「まさに映画のような話だと思った」と冒頭に書いたのは、シ チュエーションのことを言っているのではない。ノアとアリーが再会したところから、アリーの心情が映画的な展開を見せたからである。つまり、おそらく現実 だったら「ノアに会うまではなんだか盛り上がっちゃったけど、実際会ったら大した男じゃなかったわね」…と思うようなところを、アリーは「やっぱり今でも 愛してる…!」と思ったのである。アリーが久々に会ったノアは、精神的にも荒んでいたし、見た目も貧乏くさくて不幸オーラぷんぷん、生き生きと何かに取り 組んでいるわけでもない、尊敬するところなどほとんど何も無いような状態だったのに、アリーはなぜか「ノア…愛してる…」と思ってしまったのだ。多分現実 なら絶対あり得ない。(いや、アリーのような女性もいるのかもしれないけど。)

 で、アリーの心情は映画的だけどノアの心情は別に映画的と は思わなかった。私の主観だけど、過ぎた恋愛について、女性は単なる記憶として扱うのに対し、男性はなぜかそこにまだ温度を感じていることが多い気がする からである。だから、ノアがいつまで経ってもアリーを忘れられないのは、割と現実的なのではないかと思う。

  最後に、ほとんどのレヴュー に「必ず泣ける!」と書いていたのだけど、一滴の涙も流せなかった。だけど、まあ別に泣ける映画は良くて泣けない映画は良くないわけではない。ハラハラさ せるいい映画だった。ただ、なぜかちょっと分析的に見てしまったな、と後ろめたい気持ちがしている。だから最後の一文は、素直っぽいので締め括りたい。

 アリーのためだけに命を捧げるノアの姿は、狂っているけどとても素敵だった。

 

おわり

 

春野早苗