二日坊主娘

映画や本、音楽や人物などについて書くと思います。たぶん…。

「衝突と分裂、あるいは融合」を改めて みて 思うこと

こんにちは。

台風過ぎて、風が急に秋めいてきましたね。

人肌恋しい季節です。

右の手で左の頬、左の手で右の頬を包むと
他人に包まれてる感覚になるわよと、

職場の美人な先輩が言っていました。

人肌恋しくなったら、やってみては
いかがでしょうか。

さびしさで肌を合わせることほど

後味悪いものはないですからね。

さて、ちょっと前置きが長くなりましたが
先日ひさびさに、「衝突と分裂、あるいは融合」という作品
(時間堂という劇団が2014年に行った全国ツアーでやった作品です)を

映像でみました。

まず、ざっくりと外側の感想から述べると

この作品のキャラクターたち全員に
完全に心を奪われてしまった…というもの。

まあそれは、生でみていたときも感じていたはずなんだけど
なんだか、あのときよりもずっと強く
胸を掴まれました。

おそらく、当時生でこの作品をみていたときは
舞台の上でみていたから
完全に観客目線ではなかったのでしょうね。
福岡公演のみ、私も参加しています。

それが、今あらためて観客としてみると

ああ、こんなにも愛おしかったのかと。

それはもちろん、
俳優さんおひとりおひとりのお力や魅力に拠るものだけど

それらがこんなにもイキイキと生きているということは
つまり、それを生かした方の腕前、器量、なのだと思いました。

ほんとすげーな。

外側の感想はここまでです。

ここからは、作品の内側について。

(そもそも、実のある作品だからこそ
作品の内側について語ることができると思っているのですが
内側について語っゃうんだ、ということから、私がいかにこの作品に魅了されているかがわかります。)

この作品での題材とでもいいましょうか、、、(多分テーマや主題では無い)
それは、原子力発電です。

けど、作品中での問題点(人々が衝突した理由や環境)って、
原子力発電の現場に限らず、他の現場での問題点でもあるじゃん!と思いました。

ここから先は作品自体についてではなく

作品を みたうえで考えたことです。


先日、ある大学の先生とお話ししたときに
「○○に就職したら生涯安泰だと思っている学生は多い」という話を聞いて驚きました。

こんなにも目まぐるしく変化している時代において、
「絶対生涯安泰」な職場なんてあるわけないじゃん(笑)

おそらく、今まで人間がしていた仕事をコンピュータがやるケースは
今後もっと増えていきますよね。

(うちの母は知らなかったのですが)
その波は既にもう生まれています。

たとえば飛行機の整備。
たとえばレジ打ち。(セルフでやるの増えてますよね)
たとえばガソリンスタンドの給油。

昔は全て人間が行っていたから飛行機の墜落事故って多かったらしいけど
今は、かつて人間がやってた仕事の一部をコンピュータに任せるようになっていて
墜落事故も大分減ったんだって。

整備士さんの仕事をコンピュータが奪った、っていう見方もあるかもしれないけど

必ずしもそうではない。

人間とコンピュータの得意分野って異なるから

それぞれの得意分野をそれぞれが全うすればいいんじゃないかと、私は思う。

でも、自分の仕事をコンピュータに奪われるんじゃないかと思って
ただただ怖がる人もいるんだろうとも思うし

元々は共存を望んでいたけどいつの間にかコンピュータが人間より優位に立っちゃってた、なんて事態も無きにしもあらず。

立場とか考え方とかによって、どの選択をするかは変わってくるもんね。

とは言え、科学の進歩は止められないわけで

私たち人間は、目まぐるしく変化する環境の中で

その変化に応じ、議論しながら生き抜かなければならない。

これは絶対だと思う。

そこで大切なのが、議論する底力。

これ、多分、日本人ってあんまり無いっぽい。

まだ長期間日本を離れたことないから
日本人がどうこう言える立場じゃないので
多分、と、ぽい、を付けておきます。


なぜ、議論する底力が無いと思うかっていうと

空気読んで無難な選択をする傾向がある、というのを実感しているから。

これヤバいんじゃないかと思う。

で、今、空港ロビーのソファーでこれ書いていて

オチもついてないし結論も出てないのはわかってるんだけど

隣に、入れ替わり立ち替わり赤ん坊と赤ん坊のおばあちゃんが座るので

可愛いから赤ん坊見ますね。


長々読んでいただいたのにすいません。

また。


春野早苗